IGの起源は有史以前にまでさかのぼるのではないかといわれており、実際に今日のIGスタンダードの骨格に酷似した骨の化石が発見されている。

まずエジプトの貴族およびのちのローマの上流階級、その後も特にルネッサンス時代には貴族たちに愛好されており、この犬種は常に小さな「贅沢犬」として考えられており、それゆえに交配は非常に限定されたものであった。

(室内小型犬として飼われていたが)この犬種は実は非常に運動好きの犬種 であり、非凡なスプリント能力とスピード、およびサイトハウンドには珍し嗅力を有するハンター(狩猟)精神を備えている。

落ち着きと頑丈な体をもち、小さいが見事なほどに滑らかである。
IG愛好家として有名なのは、犬種の名前に王の名を冠することを望んだことで有名なイングランドのチャールズ1世や、約80頭のIGを所有していたことやイタリア芸術への貢献で知られるフレデリック大帝2世などがいる(イタリアの初めての国家統一は彼によるとことが大きい)。

IGが貴族階級に愛されたことは、豊富な肖像画において明らかになっており、エジプト帝国時代に遡って、特にルネッサンス時代にPaolo Uccello、Tiepolo、Piero della Francesca、Pisanello、Giottoなどの偉大な芸術家の支援者であった貴族たちは、最も煌びやかな服をまとってイタリアン・グレーハウンドを傍らにいる姿を描かせることを好んでいた。

恐らくこのイタリアの貴族家庭の嗜好が(IGの)犬種をイタリアで設定されることとなった理由であろう。

また、同じ理由により、英国のケンネル・クラブが1900年代に小型サイトハウンドの最初のスダンダードを策定するにあたり、この犬種が「イタリアン・グレーハウンド」として定義されるようになった。

その後数十年間において各国でケンネル・クラブが設立されており、中でも、ENCI(Italian Cynophilist National Association:イタリアの全犬種ケンネルクラブ)も加盟しているFCI(Federation Cynologique International)において、この「小型サイトハウンド」は他のサイトハウンドとは異なりトイ・グループとして分類されることとなった。

1960年代になると「1800年代後半のベル・エポック時代の婦人などの間では極小であることが要求されていた」と考えられるようになり、犬種の健全性に危険をもたらすようになった。

いくつかの犬はリンゴ型の頭部と不規則な歩様などドワーフイズム(小人症:異常に小さいさま)の兆候が見られるようになっていた。

(これに対処するために)FCIはIGを第9グループ(トイ・グループ)から除外して、第10グループ(サイトハウンド・グループ)に移す決定をした。

時を同じくして、英国でウィペットが新しくサイトハウンド犬種として作られていたが、イタリアン・グレーハウンドの特徴とウィペットの(違いがあいまいになり)混同されるという懸念が生じ始め、両者を区分けする方策を採る必要があると考えられるようになっていた。

このため、FCIはイタリアン・グレーハウンドの色をブラック、グレー、イサベラと、胸と足先の部分にのみ白のスポットを認めることを定めた。

これらの色の制限はFCIスタンダードにおいてのみあるものであり、世界のFCI
非加盟の2大ケンネル・クラブである英国ケンネルクラブと米国アメリカン・ケンネル・クラブはこのような考え方を採っていないことは特筆すべきである。

イタリアン・グレーハウンドは活動的な犬である。その走行性能は、コーシング(野ウサギ狩りの模擬競技)への適応や狩猟能力と同様に目を見張るものがあるものの、ウィペットと混同されることは(寸法の違いによるものだけではなく)起こるとは思えず、また、IGの主な役割は常にトイ(愛玩)犬種としてのものでありつづけていることは疑いの余地がない。

今日においては、たとえもっと白スポットおよびその延長の許容を増やしたとしても IGがウィペットと混同されてしまうという懸念は、(イタリアの)イタリアン・グレーハウンド・クラブ内にはない。

したがって、(イタリアのイタリアン・グレーハウンド・クラブは)ENCI(イタリア・ケンネル・クラブ)の技術委員会に対して色の許容を広げるよう イタリアン・グレーハウンドのスタンダードを改定することを要請している。